みよしのぶろぐ

沖縄でフリーライター兼WEB編集者してます三好優実のブログです。

わたしは短歌で人生をおもしろくする。

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先月末に、短歌をはじめた。

 

実は先月のはじめ頃からやりたかったのだが、資格試験が近かったので我慢した。


なぜ短歌をはじめたか、を要約した短歌を素人ながらに作ったので、いまここで披露したい。


15年 かけて磨いた 社会性 33歳 壊したくなり


誰かの想像力に委ねられるほど自分の短歌力は全然ついていないと思うので、恥を忍んで解説したい。

 

暴露になるが、わたしは10代のころ、今よりも千倍くらい面倒な人間だった。今も面倒な人間に変わりはないけれど、軽く関わる人にバレない程度には社会性を身につけたと思っている。

 

当時、10代のわたしには社会と関わる嫌悪感が確かにあったのだけれど、その嫌悪感にうまく蓋をして生きたほうがはるかに楽だと思うことが多かった。そして楽に、なるべく傷つかずに生きたい怠惰から、あらゆる周囲を参考にして社会性を身につけた。

 

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そうして、かれこれ15年くらい経ったのかな。最近は文章を取り扱う仕事をするようになり、ここ最近は、自分が努力して身につけたはずの社会性を手放したくなった。自分が副作用として受け入れてしまった「思考停止」に、嫌気が刺す機会があまりにも増えたのだ。

 

一言断っておきたいのだが、社会性がある人=思考停止だと言っているわけではない。単にわたしが社会性を身につけるには、幾度か思考を停止させなければ叶わなかったというだけ。引くほど不器用だったし繊細だったし人と興味が合わなかったし、なにをしても少数派だったし、それに対して寂しさも持てなかった。「友達」という言葉もなんとなく苦手だった10代だった。

 

話が逸れたが、つまりわたしは自分の思考を停止させてまで身につけたかった社会性が、いま文章の世界では少々足かせになっている。思い返すと、10代で面倒な自分に向き合うのを避けたおかげで、思考の深掘りが苦手になっていた。

 

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欲しいもの 手に入れたくて 身を焦がす 手放すときの 苦しさも知らずに

 

そんな思いが湧き上がってきたので、こんな短歌もつくった。不思議なもので、かつてあれだけ渇望した社会性も、いざ手放そうとするとこれがなかなか難しい。

今ならもう手放しても生きられるくらいにわたしは大人になったし、あのとき欲しかったものはもう欲しくなくなっている。いまは楽に生きられなくていいから、いい文章が書けるようになりたい。

なのに染みついた習慣は、なかなかもとには戻せない。あの頃のわたしと今のわたしは、まったくの別人なのである。

 

 

まぁだけど、と、いうことは、じゃあ明日のわたしだって、今のわたしと同じとは限らない。まぁ明日程度なら対して変わらないと思うけど、1年後はぜんぜん違う人かも。

 

そう考えると、わたしは今からなにかをはじめたいと無性におもった。

 

そんなときに出会ったのが、短歌だったのである。正確には、出会ったというより擦り込まれた。

 

わたしはここ数ヶ月で、短歌と出会うシーンに恵まれた。

 

「この人の文章好きだな」と思う人が短歌をやっていた、ということが3件くらい相次ぎ、そうしていると、すごく感性が好きだった昔の同僚がSNSで「短歌やってます」と投稿していたり(しかも載せてた短歌が抜群にうまくて、しびれた)とにかくわたしは、どうやら短歌にマインドセットされたようだった。

 

 やればやるほどに導かれる、短歌の魅力 

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短歌をはじめて数週間。なに占いをしても「飽きっぽい」と言われるわたしが言うと説得力がなさすぎるかもしれないが、だけど事実として、短歌をやるほどに短歌ワールドに魅了されていく自分がいる。

 

短歌のなにがいいって、誰にもわからない幸せを見つけ出したもの勝ち、みたいな価値観だ。わたしが入門書として手にとったはじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3) に「なんとなく素敵そうなことを詠むと失敗します」と書かれていた。

 

なんだか自分の人生の迷いと間違いが、この一言に集約されている気がした。なんとなく素敵そうな人間になろうとしたり、なんとなく素敵そうな言葉を繋いで記事を書いたり友人にアドバイスしたり、なんとなく素敵そうな人と友達になったり、なんとなく素敵そうなホテルやレストランでなんとなく素敵そうな時間を過ごすことに、もう何年も意味を感じていなかったから。

 

わたしは「なんとなく素敵そうなことを詠むと失敗する」世界に行きたいと思った。だから今回のブログにも「短歌との出会いは素敵だ」という話ではなく、10代のときに逃げ出した自分と向き合う機会が訪れたというだけだと、書いてしまいたくなったのだった。

 

まぁそんな感じで、短歌をはじめたわけなのだけど、最後に、入門書を読んで「なるほど短歌は面白い」と思った具体的な事例を紹介してブログを終えたいと思う。

 

◎「煤(すす)」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すぐむきになるきみがすきです」

これは著者が「いい」と思った短歌なのだが、この本の面白いところは、良い短歌に対し、あえて「改悪例」を作っているところだった。

 

本では改悪例として

「煤(すす)」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すてきなえがおのきみがすきです」

 

が例としてつくられていた。

 

素敵な笑顔の君が好きでなにが悪いんだ、という感じだが、短歌では「社会的な価値」は評価されにくい特性がある。会社で賞を取ったとか、部長に昇格して嬉しいとかはダメ。

 

だから「すぐむきになるきみがすき」はOKで「すてきなえがおのきみがすき」はNG。素敵な笑顔は社会的に認められた価値だから。みんな素敵な笑顔の人が好きだから。でも、「すぐむきになる君」が好きなのは、その人だけの、ちょっと盲目的な愛情だからOK。それが短歌らしい。

 

あと、今まさにしりとりでむきになっている情景が浮かぶのも、短歌として高度なテクニックだと本では解説していた。うわーなにそれ、おもしろい。おもしろすぎる、すき、って思った。

 

どうですか?なんかよくないです?短歌やってたら、幸せ探しの名人になれるんじゃないかな。わたしはそう思います。わたしは短歌で人生をおもしろくする。

 

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

  • 作者:穂村 弘
  • 発売日: 2016/10/06
  • メディア: 文庫