OFFICE&FREEDOM

沖縄フリーライター・WEB編集者/三好優実のブログです。

苦しいほどリアルなドキュメンタリー映画「行き止まりの世界に生まれて」

 

先日どうしても観たい映画があり、だけど誰にも共感されなかったので人生で初めて1人映画デビューした。

 

初めての桜坂劇場。いわゆるミニシアターに足を運んだのは初めてで、1人映画も初めて、ドキュメンタリー映画を観るのも初めてだった。

 

そこまでして観たかったのは、トランプ大統領当選に大きく影響したアメリカの街・ロックフォードで実際に暮らす少年たちのリアルを描いた作品「行き止まりの世界に生まれて」

 

わたしが世界情勢に興味を持ち始めたのはとても遅くて、トランプ大統領が当選した時だって「なんか強烈な人が大統領になったんだなぁ〜」くらいの感じだった。

 

ちゃんと情報に耳を傾けるようになったのは、本当につい最近、新型コロナウイルスが世界中に蔓延しはじめたくらいからだ。それまで無頓着だったからこそ(今でもたいして知識はないけれど)、少しの知識が増えるたびにこの街への関心が高まった。

 

何かの本に「トランプ大統領は時代に必要とされ、誕生したのだ」と書かれていたのが頭に強く残っていた。時代に必要とされたのが当選の理由ならば、その当選に大きく影響したと言われるロックフォードという街にこそ、時代を読み解くヒントがあるのではないか。そんな気持ちで映画館に入った。

 

ちなみにトランプ大統領のことばかり書いてるけど、この映画にトランプ大統領は全く関係ありません。逆に、元大統領のオバマさんが絶賛している(らしい)映画です。

※ここから先ネタバレあり。

 

淡々と、されどリアルに描かれたロックフォードの少年たち。

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舞台は、錆びついた工業地帯と言われ「全米でもっとも惨めな街」「アメリカの繁栄から完全に見放された街」などと揶揄される街・ロックフォード。

 

映画は、街で幼い頃から家庭内暴力を受けて育った少年たちがスケートボードという居場所を見つけ、スケボ時々インタビュー、仕事、家庭、など切り取られたノンフィクションの映像たちがまとめられ、ドキュメンタリーとして構成されていた。

 

物語は、美しく軽やかなスケートボードの映像と、複雑な表情で家族や過去を遡り語る少年らが交互に映し出される。

 

それが淡々と続くのだが、淡々とした中に、涙を堪え笑顔を作る少年や感情が止められない少年、苦しそうに顔を歪める大人に、夕陽の中怪我を恐れることなくスケートボードを滑らせる少年たち...ひとつひとつの一コマが、なんだかとてつもなくリアルなのである。

 

そして、淡々とした映画の最中、おそらくここが山場なのだろうというシーンがある。親からの暴力やトラウマに悩まされる少年たちへの取材を通し、ディレクターである「ビン・リュー」氏は、レンズ越しの彼らに自分自身を重ねていたことに気づくのだ。(ちなみにビン・リュー氏はインタビュイーたちの友人である)彼もまた、親(義理の父)から暴力を受けて育った子どもだったのだ。

 

そしてビン・リュー氏は自らの母親に向き合う決心をし、友人に協力を頼み、自分にピントをあてた。(ちなみに親子モノに弱いわたしは、向き合った親子の姿に号泣)

 

リアルとは

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正直に言うと、映画として「よかったよ」「ぜひ観てみて」と誰にでもおすすめできる類のものではなかった。

 

淡々としているし、集中力と想像力をしっかり保っておかないと、別のことを考えてしまいそうになる。人によってはそれが「退屈」だと感じるだろうと思う。とにかく、起承転結や派手な盛り場は特になく、終始淡々としているのだ。

 

だけど何だろうか。起承転結や盛り場をしっかりと作られた映画よりも、淡々としつつも心の奥にずしっとくる“何か”が凄まじかったのだ。

 

例えば、インタビューの中で所々見せた少年たちの表情が忘れられない。この撮影を「無料のセラピー」だと言った少年の目頭、スケートボードを滑らせる少年のからっぽにも思える軽やかさ、母にカメラを向けた時「これであなたが癒されるなら、映画だってなんだって作ればいい」と言った時の喉から掠れ出るような声、一瞬一瞬のそれぞれのリアルな表情が、頭から離れなくなるのだ。

 

こんな感覚は初めてだった。

 

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観終わった後も、なかなか咀嚼できずに丸一日かけてずっと考えてしまった。あの映画はなんだったのだろう。そして24時間以上経って、ぼんやり答えが浮かんできた。

 

起承転結や盛り場がないことこそが、真のリアルなのだ。

 

だからこそ、ストーリー全体ではなく、所々の表情やセリフ、空気感だけが脳裏にねっとりとこびり付いているのだと思う。

 

12年もの年月をかけてこの映画を作り上げたビン・リュー氏が母親に向き合った時、いくら向き合っても、そこからはドラマみたいな「知られざる真実」なんて出てきやしない。ただただ母親の過去への後悔や、ビン・リュー氏本人の、向き合ったことへの後悔とも悲しみとも取れる表情、母の絶望、沈黙の中でも希望を探してしまう切なさ、など、混沌としていて、全然すっきりしないのだ。とにかくすっきりしない。どれだけ向き合っても、ひたすら後悔し、謝罪する母の姿があるだけなのだ。意を決して向き合って、こんなに悲しいことはあるだろうか。でも、あるのだ。これはドラマじゃなくて、現実だから。

 

インタビューを通して、自分の人生を進み出したように見える少年も、一歩進んでは一歩下がり、環境を憎んでは環境のせいにした自分への嫌悪で苦しむ。こんな風に、どの人物のストーリーも、どうしようもないくらいスッキリしないのだ。いや、ちょっと前を向けたかな?ってシーンはあるけれど、それが続くかもわからない。

 

でも、このすっきりしないのが本当の、生々しいほどのリアルなのだと思う。何かを変えるには、何度も何度も向き合わなければならないし、それをしたところで、何を持ってトラウマが解消されたかなんて目に見えてわかりやしない。しかもそんなことは一生続く。12年かけて映画を撮っているけれど、13年前も14年目も、人生は続くのだ。今越えられたことが、明日も超えられるとは限らない。

 

 

あまりにも理不尽だけど、これがリアルなのだ。彼らにとってはそれがリアルで、そしてわたしたちにも、それぞれのリアルがある。あり続ける。あり続けるのだ。

 

それが24時間くらい咀嚼して、やっと出たわたしの中の、この映画に対する答え。明日には変わっているかも。誰か観た人いたら、感想聞かせて。