わたしは速読に興味がない。もともと、本を読むのはそんなに遅くない方だし、読むのに時間がかかる本にはしっかり時間をかけたいからだ。
なのでどちらかというと、速く読むことよりも『質の良い読書』をやりたい。そんなことを思い、先日読んだ樺沢先生の『読んだら忘れない読書術』の影響により、「同ジャンルの本を立て続けに読む」と「読書感想をアウトプットする」をひたすら実行している。(画像のノートはアウトプット用に最近作った)
ということで今回は、読書本同ジャンルとして何冊か読んだ中、一番よかった『精神科医が教える 良質読書』を紹介したい。
読了感はまさに『良質読書』だったから、本のタイトルが完璧すぎてすごいと思ったのだがまず、この本の冒頭文にやられた。
読書とは自分に会うためにするもの
この文は、読書嫌い(なんと!)な著者が読書をする理由が2つあるといい、その内のひとつとして語られた一文である。
わたしはこの一言を誰かのレビュー記事で見て購入ボタンを押したし、実際に読み終わってみると、いろんな自分に出会うことができた。そして日常生活における物事の受け取り方や流し方、考え方すべてにおいて見直す機会となった。
当ブログでは、そう思った箇所を一部抜粋してご紹介したい。
良質読書から得たことまとめ
まず、この本では「限界を超える本」を読むことを推進する章があり、わたしはここにえらく感動してしまった。
「限界を超える読書」をすると、思わぬ副産物があります。心が落ち着き、人の話を聞くのが上手になるからです。
わたしはたまに「分不相応な本」を買ってしまうときがある。けど、そういう本って、まじで1日に1ページも読めなかったりする。
たとえば最近購入した『経済がわかる 論点50 2020』は、わたしが経済に無知すぎて1日1ページ読むのに精一杯だし、参考書ばりに書き込みがえぐいことになってしまった。(恥ずかしいけど写メを載せておく)
ただ、どうしても新型コロナウイルスをきっかけに、経済に関心をもったわたしは、今こそ学ぶベストタイミングだと思った。だから、毎日2ページくらいのペースで読み進めている。
ライターにはときに、無理をしてでも読まなければいけない資料が現れる。(まじで学生時代ぜんぜん勉強しなかったツケを今必死で払っている)
だから純粋に、限界を超える本に挑戦することを推進する1文がまず嬉しかったし、それに続く言葉がとても素晴らしくて、努力の糧になった。
自分の理解の枠組みを超えたわかりにくい本に、たとえ1日30分でも毎日向き合って読むという訓練をする。
そうすることで、自分とまったく感性の異なる「他人の話」に耳を傾けることができるようになるのです。
精神科医の方ならではの目線でかなり面白いし、著者の名越先生は本を読むとき、人とコミュニケーションをはかるように読み進めているんだなぁと想像し、真似ポイントが増えた。
あとこれは職業的にも、めちゃくちゃ取材ライター必見な考え方だと思うのだ。わたしだけかもしれないが、ときに取材ライターは、全然頭に入ってこないような苦手分野の話にも全神経を研ぎ澄ませて聞き、理解しなければいけないことがあるのだ。
『自分とまったく感性の異なる「他人の話」に耳を傾けること』
これがめちゃくちゃ大変で、まさに人としてライターとして、克服したいことだった。
あとこちらも目からウロコだった。
私は「体癖論を深めたい人は推理小説を読みなさい」と言っています。体癖論とは、人の体のもつ感受性の違いが、人の性格やものの考え肩に大きな影響を与えている、とする考え方です。
(中略)推理小説では、みんなから疑われている「いかにも性格や行動に問題がありそうな人」が犯人であるケースは、ほぼありません。「まさか」という人が犯人です。
それを探偵は、観察力と洞察力、そしてひらめきを利用しながら推理していくわけです。これは体癖論にとっても、すごく有効な思考能力なのです。なぜなら人間は、「こう見てほしい」「こう見られたい」と、演じているところがあります。自分の性質を自然に隠す。
「私はすごく飽きっぽくて」と言う人の中に、意外に凝り性な人が混じっていたりします。これを見破るには、推理小説スキルがないと解けません。
そのためには、人間に関するたくさんの引き出しを持っておく必要があります。
『人間に関するたくさんの引き出し』とは、面白い表現をされるなぁと思った。
この表現こそ『読書を通して自分に出会う』ことに繋がるのではないだろうか。そしてこの1文は、わたしの仕事にも大きなヒントを与えてくれた。
取材ライターが取材を通して、相手の人物像をどう見るか・どう表現するかはとても大事で、そこにめちゃくちゃ活きてくるメッセージだった。
そしてもうひとつ、読書とは食事に似ていると論する考えもめちゃくちゃ面白かった。
たとえば仕事に悩んでいる、人間関係に悩んでいる、親子関係に悩んでいる。誰かからアドバイスがほしい。けど誰も教えてくれない。このように、自分が「飢えている」ポイントがあるとします。飢えのある状態で読書をすると、その「飢え」を満たす言葉を脳(心)が感覚や直感を研ぎ澄ませて勝手に探し始めるのです。
何かの乾きをもちつつネットや書店を見渡していると、やがて「ここ!」というように、キーワードが自然と浮き上がってくる瞬間がきます。
(中略)体が足りない「栄養」を自覚しているので、それを補おうといういわば自然の現象なのです。
読書家の人はなんとなくわかると思うのだが、本屋さんにいるとき、直感が『買え』って言ってくる本がたまにある。
それは今求めている本で、理由がなくても買ってみると、そのときの自分に必要な言葉が栄養となり、するっと吸収されたりするのだ。
不思議な現象だなと思っていたけど、この考察にわたしはニンマリしてしまった。
また長文になってきたので、そろそろ終わりにしたいのだけど、最後にひとつだけ紹介させてほしい。
「専門外」の本を読むべき理由
意外かもしれませんが、自分の専門である精神医学の分野で影響を受けた本はほとんどありません。
(中略)確かに知識を得るには(専門分野の本が)必要なのですが、精神医学の専門書を読んでもわからないことが、ほかの分野から見るとわかってくることがあるのです。
この言葉にハッとしたのだけど、わたしにとってこの本こそが、まさにそれだった。
わたしも仕事柄、文章術や編集についての本はたくさん読んできたのだけれど、知識やテクニックで勉強になることは多くても、心理的な影響を受けたことはあまりなかった。
けどわたしはこの一見『読書術』を書いた本から「文章術」「取材術」「自分が伸ばしたがっていた短所」を多く学んだ。あ、もちろん読書術も。
(まぁ文章を書く仕事という職種の性質上、どの本にもプロが携わっているから、ジャンル問わず読書が文章術の勉強になるのは間違いないのだけれど。)
わたしは「理解」=「たとえ話ができる状態にあること」だと思っている。
この本には、わたしがなぜ文章の仕事を選んだのか、そして何につまづいているのか、というところをたとえ話のように気づかせてくれる言葉が詰まっていた。
名越先生は読書をこんな風にも表現していた。
「読書」とは、本と自分とやりとりする時間
これからも、おおくの本を通して、自分を知り、自分の心を育てたい。