わたしはあまり、毎回1話完結系のドラマを見ないのですが(飽きてしまう)、家政夫のミタゾノだけは、見れば見るほど「ん?んん?」となるのでつい全話見てしまっている。
どちらかというと、はじめてみたときは「チープめの推理&家事テク紹介ドラマ」というイメージ(失礼)だったんだけど、ここ最近見え方がどんどん変わってきて、わたしの中ですっかり「奥が深くて怖面白ドラマ」になってしまった。
見ているうちに奥深さを感じるドラマはそんなにないので、奥深く見える要点をお伝えしたい。
※めちゃめちゃネタバレしてますのでご注意ください。
①目に見えているものが全てではなく、そして人間って分からないもんだ、ということが生々しく描かれている
例えば5月1日に放送された、超頑固なラーメン屋店主の話。ミタゾノを雇ったのは、見るからに「頑固な亭主の不器用さを影で支える、人当たりの良い妻」。妻は頑固な亭主にかわって、若い人に後を継いでほしい思いから、厳しすぎる亭主をなだめ、後継者づくりに奮闘しようとしている。...ように見えていた。
一方頑固店主は、何年も修行する弟子がいながらも、「まだ早い」と言い、一番人気のスープの作り方は絶対に誰にも教えずにやってきた。頑固オヤジならよくある光景。...に見えていた。
だけど実際は、お金と楽、そして周囲のラーメン屋妻に対するマウント合戦対策(?)のため、後継者を育てたのちにカップラーメン監修による収入を得たかった妻と、美味しさの研究に疲れ果て、カップラーメンのスープ粉をずっと使っていた店主。
そして一悶着あった後、唯一残ってくれた店員は、さらっと裏切り、自身でラーメン店を開業、とサラリと人間不信になりそうなストーリーで終わってしまう。
世にも奇妙な物語的な怖さがあるものの、実際にこういう人間はたくさんいて、またそういう人間にしてしまう環境というのもおそらくある。
このドラマを見ると『この人もいつか裏切るかもしれない』と思いながら生きることは悲しいことだけど、ある程度『見えているものが全てではない』という頭は持っておいたほうがいいと思うのだ。
②すべてに気が付ける人間が幸せとは限らない
このドラマには、両極端な人間が同じ空間に登場する。勘も要領もよく、だいたいのことはお見通しのミタゾノと、要領は悪く鈍く、いつも最後の最後まで違和感に気づかない家政夫の村田。
村田はいつも、家族の感情に共感したり驚いたり泣いたり笑ったりする、絵に描いたような『単細胞』。(わたしも多分こっち側)
まわりからはバカにされたり、話においてけぼりになったりするんだけれど、多分幸せに生きられるのは村田のような人間だと思う。
現にミタゾノは、まるで刑事のようにあらゆることにピンときて裏で動く。(まじで家政夫がこんなことしたらクビだろうなと思うほどに)事件解決を楽しんでいるようにも見えるが、人間の優しさや感動シーンに素直に感情が動く村田の方が、あきらかに見なくていいものを見ないスキルが高いのだ。
あまりにも人生や人間を達観して見られる人は、素直に喜んだり悲しんだりができなくなるのではないだろうか。
結局人は、目の前のことを素直に受け止め、喜んだり悲しんだりできる方が幸せなんじゃないか、そんなことを考えさせられる。
③そんなミタゾノは超苦労人。女装の理由は過去の壮絶なドラマが原因
ミタゾノが女装しているのには理由がある。第1章の最終回で遠回しに描かれていたけれど、簡単に言うと色々あって大臣に命を狙われているから身を隠すため。
いろいろ無理があることは置いといて、とにかく超がつくほど苦労しているミタゾノ演じる松岡昌宏さんの演技も必見なのだけど、ほぼ無表情に見える表情の奥を想像するのが癖になる。
たとえばよくミタゾノは、村田が感動するようなベタベタなシーンで「ふんっ」と鼻で笑うのだけど、そんなとき何を思っているのかなと想像してみると面白い。
『人を信じることに疲れているミタゾノはヒューマンストーリーが大嫌いで、反吐が出るような気分になっている』のか、それとも『この幸せが嘘じゃなければいいのに』と願っているのか、はたまた『もうすでに全貌を知っているから、ちゃんちゃらおかしいわ』と茶番に笑っているのか。
ミタゾノが、人間をどう見ているのか、そこにわたしはとても興味がある。
そんな感じで、家事テクもレベル高いし、毎回必ず「ミタゾノ以外の登場人物がぴたりと固まるシーン」があるのだが、ちょっと動いちゃう人とかいるの見るのも面白いし、人間観察も面白いし、生き方を真剣に考えちゃったりする。
見れば見るほど奥が深くて味があるドラマだと思う。今後も目が離せない。