昔、自分が悩んでいた時に、「なやめ、なやめ、若者よ」と言うおじさんが一定数いた。そんなおじさんを見てわたしは、おじさんには悩みがないのだと思った。
だからなんとなく「大人になると悩みがなくなる」と思っていた。誰もが時とともに悩みがなくなるのだと真剣に思っていたのだ。そしてわたしも早くその域に達したいと。
すこし前に、若者から人生相談をうけた。そのときわたしは無意識に「なやめ、なやめ、若者よ」と思い、それを口に出した。
そしてふと思った。「あれ?私、なやめと言われてた側の時から、何か変わったんだっけ?」
正解はNOだった。
しいていうなら同じ悩みでも、若い時は今とは違うことに悩んでいた。他人との関わり方や時間の使い方などに悩む今と比べ、当時のわたしは「なんでわたしはこうなんだ」「うまくいかない」と、何者にもなれない自分に焦り、悩んでいた。
カンフー・パンダに学ぶ「究極の悩み解決方法」
先日読んだ本『ムダにならない勉強法』で紹介されていた、映画『カンフー・パンダ』のエピソードが印象的だった。
『カンフー・パンダ』の主人公パンダのポーは、カンフーが大好きなカンフーオタクですが、「食いしん坊」で運動は大の苦手。そんなポーが、ひょんな偶然から、最後の戦士とされる「龍の戦士」の候補に選ばれてしまい、カンフーの修行をはじめることになります。
(中略)そして努力の末にポーは免許皆伝ともいえる「龍の巻物」を授けられることになります。カンフーの究極の奥義が書かれているといわれる「龍の巻物」を恐る恐る開くポー。そこに書かれていたのは・・・なんと何も書かれていなかったのです。
何も書かれていない奥義書にガッカリするポーですが、ある日気づきます。「龍の巻物」には光沢があり、そこには鏡のように自分が映し出されていることに。
そう、「究極の奥義」とは自分だったのです!
「究極の奥義」。つまり強くなるための究極の方法やノウハウなどは存在しない。もしあるとすれば、それは「自分自身」の中にある。「究極の奥義」とは人から教えられる存在ではなく「気づく」ものなのだと!
若い頃の自分と今の自分を比べると、この話に通じるものがあった。
むかしは、極端な話「石原さとみになれれば最高に幸せな人生になる」と思っていた。つまり「究極の奥義を知れば強くなれる」という発想だ。
だけど、いろんなことに悩み、乗り越えていくうちにわかった。わたしは「なりたい自分」にならない限り、幸せにはなれないのだと。自分史上最強にならないといけないのだ。
エステシャン時代に学んだ「美しくなる方法」
昔、エステシャンとして働いていたときに、美容の奥深さを知った出来事があった。浜崎あゆみに憧れて、ヘアスタイルもメイクもすべてあゆの真似をしていた女性いた。ショートヘアに金髪、ばっちりアイメイクにヒョウ柄。元がかわいいのでそれはそれで可愛かったけど、「浜崎あゆみに限りなく近づくこと」を目指す彼女は、どこまでいっても「あゆの偽物」だった。
そんな彼女が、新しくできた彼氏に「化粧が濃い」「君の笑った顔が好き」と言われたことをきっかけに「笑った時により可愛く見えるナチュラルメイク」を研究し始めた。もともと研究熱心な彼女は、毎日鏡をみて自分の笑顔がどんな風に魅力的なのか、どんな風にすればもっと引き立つのかなど、とことん研究した。
最初は彼氏に毎回感想を伺ったり、髪型の好みを確認していた彼女だが、彼は「似合っていればなんでもいい」と言い続けた。そして彼女ははじめて「浜崎あゆみ」ではなく、「彼氏の好みの女性像」でもなく「自分自身」を見るようになったのだ。いつも鏡の隣においていた雑誌を置くことをやめた。
そこから彼女は半年間ですごく変わった。浜崎あゆみからは遠ざかったけれど、その人らしい"かわいらしさ”のある女性になった。他人を研究し続けた彼女が、自分を研究することによってオンリーワンの美しさを得たのだ。言葉では伝えづらいけど、オーラも変わっていたり、どこからともなく「確立された自信」を感じた。
そう、これまで「あゆの偽物」だった彼女が「笑顔がかわいい○○さん」になったのだ。もちろんいうまでもなく、最新の彼女がかわいい。
前述したとおり「なやめ、なやめ、若者よ」と言ったわたしにも、きっとわたしに悩めと言ったおじさんにも悩みはある。だけど、そもそも"自分”をしっかり悩むべきなのだ。
おじさんたちが「なやめ」と言ってきたのは、自分が悩んでいないわけでも相手を苦しめたいわけでもなくて、悩んだ末にたどり着けるものの価値を知っていたからだ。カンフー・パンダ的にいう「自分だけの究極の奥義」を見つけるには、とことん自分について悩むしかないのだと。
と、これを書きながら「なやめ、なやめ、若者よ」 といったおじさんの気持ちがわかるくらいには成長できたのだろう、という気持ちになっている。けれど、わたしはこれからももっと悩み、自分を知り、自分を好きになりたいと思う。だから若者に負けじと、悩み考えようと思うのです。
なやめ、なやめ、若者よ。