ふりぃらんす

沖縄フリーランス編集者兼ライター「実Office」のブログです。主に、フリーランス・移住・地方活性化・人・グルメに焦点をあてて活動しております。

「努力」は美学。でも心が病んだ時には、美しくあろうとしないで欲しい

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私は「努力」という言葉が好きだ。生まれ持った素晴らしい能力などを持ち合わせず、体も弱く生まれてきた私にとって、努力すれば、心さえ頑張れば、それなりにできるようになり、人から自分から評価してもらえるから。

 

だからなりたい自分を常に問いかけ、なれるように努力をしてきた。自分よりすごい人を見ても「才能だ」と思うより「自分には努力が足りないんだ」と思う方が楽だったということもある。

 

あらゆる努力は実らせることができた。けれど努力ができなかったときもあった。ストレスで突発性難聴と診断され、歩くことも会話することもままならない時期があった。当時の私は、乗り越えるために「努力をしない努力」をがんばった。その努力は実を結び、半年ほどで回復した。

 

最近、私の友人が心の病になった。彼女に病院に行って欲しいと伝えても、行きたくないと言う。きっと、彼女のような人はたくさんいると思う。気持ちも理解できる。それでも私は病院に行って欲しいと思う。

 

だから彼女と、彼女に近しい環境にいる人に向けて、心の病について書こうと思う。

※素人なので、専門知識はこの記事にはありません。

 

うつに苦しんだ友人。努力が実ったからこそ「努力」を手放すのが怖かった

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私の友人に、6年間うつ病に苦しんだ人がいた。その人は誰よりも「努力」という美学に長年向き合ってきた。誰よりも努力を続け、努力が実ってお店を持つことができた。

お店の経営をはじめて2年後、彼はうつ病を患った。正確には、彼が病院に足を運ぶまで1年半かかっているから、うつ病を患ったのはもっと前かもしれない。

 

彼はずっと「ほおっておけば治る」と言っていた。けれどほおっておけばおくほどに悪化し、病院に初めて足を運んだ時には、自殺未遂を図るほどに重度のうつ状態に陥っていた。

 

彼が病院に行くきっかけをつくったのは私だった。見るに堪えられなくなった私は「行きたいところがあるから付き合ってほしい」と嘘をつき、彼を病院に連れて行った。

彼は病院の入り口で嘘に気づき、「嫌だ」と言っていたけれど、私は無理やり中に入れた。社会的立場のある彼は、病院の入り口で駄々をこねるわけにはいかず、しぶしぶ中に入っていった。

 

病院から出てきたとき、彼は涙を流していた。「専門家ってやっぱすごいね」とおどけていたけれど、きっと他人であり専門家だからこそ、開けた心があったのかなとホッとした。

「努力」が糧になるならいい。けれど「努力」で自分を苦しめないで

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カウンセリングを受けた後、彼の考えは変わったようだった。「頑張らなきゃと思っていたけど、頑張ってはいけない時期があるんだと気づいた。」「“努力がないと俺には何もない”と焦ってた。」確かこんな風なことを言っていた。

それから彼は病院に通い、積極的に治療を行うようになった。苦しいときや、薬を辞めたいと言ったこともあったけれど、最後まで頑張った。治療をはじめた当初、従業員や家族に治療の話をしてしまっている手前、途中で逃げられなかったのもあると思う。

 

治療は2年以上かかった。1年半くらい経ち、かなり良くなったタイミングで、彼は私にこう言った。「俺、“頑張らなくちゃ”を間違えてたわ。」と。「本音を言うと“頑張らなきゃ”と思うだけで息が苦しかった。」「けど自分の価値がなくなりそうで、怖くて、“頑張らない”という選択から逃げていた。」そんな風に話してくれた。

その後、もともとの努力で人望を築いていた彼は、周囲からの積極的な協力のもと、時間をかけて治療を行った。良くなっては悪くなり、治ったと思えば再発し、完治と言えるようになるまでは6年ほどかかった。

 

この経験で、私は心の病への見方は変わった。心の病気は強くあろうとする人こそがなるもので、そんな人がなったからこそ、自力で治すのは困難だということ。「治るまで待つ」、そう思っている人も多いかもしれない。けれど体の病気も心の病気も同じ。ほおっておけば、死に至るかもしれない。そして治療は早ければ早い方がいい。遅ければ遅いほど、治療は過酷で辛いものになるから。

 

嘘をついて彼を病院に連れて行った私の行動が正しかったかどうかは分からない。病院に行くことで彼が傷つき、苦しんだのも事実だと思う。治療中に責められたこともあった。「お前に俺の気持ちは分からない」と何度も言われた。

それでも私は、正しかったと信じたい。だって今、彼は生きている。

 

彼は地元の友人だったから、ここ数年会っていないけれど、風の噂でうまくいっている話を耳にするたび、嬉しく思う。

 

「努力」という言葉は、魅力でもあり魔力でもある。それ故に、努力を楽しめるとき、努力が必要なときは必ずあるけれど、努力によって破壊されるタイミングというのは頑張った人だからこそ、ある。それは心が弱いからではなく、あなたが自分に厳しいから。

 

あなたは今、努力に苦しんでいないか、それを超えた未来を想像して楽しめる心の余裕はあるのか、少し立ち止まって考えてみて欲しい。

 

命があれば、いつでも頑張れる。努力はできるときにすればいい。けれど、いま自分を大事にしないことを続けると、いずれ自分の命が大事じゃなくなってしまう。なによりも大事なのは、頑張らない自分ではなく、命を大事にする自分だと私は思う。

 

自分を大事に、努力に縛られないで欲しい。心から願っています。

 

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